共生社会を目指す

共生社会/チームワークあふれる社会について考える

「人と関わる」ということ

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1「“営利目的”でなければ、参加します」

最近、受け止めた言葉です。
この“営利目的”というのが、どういう意味なのか、
人によって様々なのではないでしょうか。

「何かの対価にお金を受け取ろうとしていること」
「より多くのお金を受け取るためにほかの人を犠牲(不幸)にすること」
など

また、似たような質問に無料にはならないのですか?というのも
よく投げかけられます。

これは、4つ考えられて
1) それって無料程度の価値(受け手にとって無価値)のものですよ
2) お金以外にたくさんのものを与えてますよね
  (他からお金もらってますよね)
3) 霞を食べて生活できる人間がいると信じている
4) 他人や社会の仕組みは考えてない

なかなかシュールな始まり方をしましたが、
今回は「人と関わる」ということを考えてみたいと思います。

かくいう私は、あまり人と関わることが得意ではないのですが  (^-^;

「人との関わり」は「交換」だと思い、
日頃よりいろいろ観察しております。

2「関わる」とは、

持っている何かを相手にあげて、相手から何かをもらうこと。

交換するものは、
物品やお金、情報、経験、言葉、感情(喜び、楽しい、愛しい、怒り、哀しい、憎い)など多岐にわたります。
もっと他にもあるかもしれません。

その価値を評価・感じるのは受け取った本人しかいません。
受け取るものによっては、”怒り”などマイナス価値のものもあります。

理想の「人との関わり」とは等価交換
なのではないでしょうか。
もう少しいうと、お互い、自分の方がちょっと得したな、
と思う程度が、双方が幸せになるのではないでしょうか。

等価交換でないと、その関わりは継続しません。
いずれ、どちらかの与えるものがなくなります。

お金は交換物の一部でしかありません。
お金持ちは、お金だけを一方的に寄付しているわけではなく、
その代わりに何かをもらっているはずです。
それは、人と接する経験や、感謝されて嬉しいという感情かもしれませんが。

ここで、冒頭の「営利目的」を考えてみましょう。
自分は「営利目的」とは、
「等価交換じゃないですよね」「よい付き合いはしないつもりですよね」
と言っているのだと解釈しております。

もしかしたら、「お金を取りますか?」という意味かもしれませんが、
その場合は交換するもの次第です。
自分が与えたものより少ないのであれば、お金を足してください、という感じです。

福祉の世界では、支援者と被支援者に分けて語られますが、
一方通行で価値が流れるのでは継続しないので、
同じような価値を感じてもらうように、社会がかわっていかないとなあ、
と思ってます。
実際、支援者が税金から交換物としてお金を受け取る社会の仕組みなので。

支援者の給料が上がるのか、喜びが上がるのか、その方向で。
決して支援価値を下げる方向でないことを願います。

3 共生社会では、

このような「よい人との関わり」が当たり前になっていることなのではないかと思います。

そして、何も交換しない人は、関わりがない“孤立”した人で、
この人は幸せではないのではないでしょうか。

引き続き、共生社会を目指して、理想の人との関わりを追求していきたいと思います。
そのために必要な社会の仕組み(制度や風土やツール)の実現を目指していきますので、
今後も、
松村と「良い関わり」をお願いいたします。m(__)m

復活の日

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復活の日とは大げさですが、noteをこちらでも投稿してみます。

コロナ騒ぎで、なぜか重たい不安感に囚われてしまいnoteに手につかなかったんですよね。
なお本業と複業は“頑張って”ちゃんとやってた(はず)。

この間には、相模原障害者施設殺傷事件の判決があったり、
東日本大震災後10年目に入ったり、
いろいろ考えさせることがあったのですが、その時ですら発信できなかったです。

1、 セーフティネット

さて、このように世の中が騒がしくなってくると、
影響を大きく受けるのは、「社会的弱者」といわれている人々です。

今回の場合、まずネット喫茶閉鎖に伴い、ネカフェ難民がいきなり路上に放り出されたこと。
その後、自治体がホテルを手当てしたとのことですが、短期間だったはず。
NPOの炊き出しも軒並み中止に。
今はどうなっているのでしょう。あまり報道されてないようです。

そして、自粛期間には、学校も止まり、職場へも行けないことで、
虐待やDV被害者が、いきなり加害者と長期間自宅に居ざるを得なくなりました。
また、外部の支援者(行政など)も、電話を掛けるのが精いっぱいで、
実際のかかわりができなくなってしまったとのこと。

非正規の方々を中心に、職を失う方も多数でている。

皆が生きるのに、より必死な時代に、人を切り捨てる社会の怖さを感じました。
自分のように中高年にもなると、痴ほう症など、切り捨てられる側になることが目の前にぶら下がってます。

困った人達がすべて救われるという完璧な社会は存在しないと思います。
それより、困った人の声が拾い上げられ、それを何とかしようとする人々が
集まり支援できる社会がよいな、と思います。

2、 官民連携プラットフォーム

皆が幸せに生きていける社会を「チームワークあふれる社会」とか「共生社会」と
呼んで、そこを目指している松村です。

そこではセーフティネットは重要な要素となるのですが、
これは行政だけで完結するものではありません。

行政は困った人の声を拾い上げる機能は不完全ですし(基本窓口に行かないと聞いてくれない)、障害者や要介護者のケアをするのは民間事業者です。

セーフティネットに必要になるのが、官民が連携したプラットフォームなのです。
そこでは、困った人の声が拾い上げられ、効率的に情報が共有され、
必要な支援が検討・実行されることになります。

全国で少しづつですがこのような動きは進んできております。
松村が関わっているところでは、
愛媛県西予市では高齢者の地域包括ケアで、
大阪市生野区京都府南丹市岩手県陸前高田市では虐待児童の支援で、
東京某区では全世代型の地域包括ケアで(そのうち公開したい)
官民連携のプラットフォームが形作られてきております。

3、 情報共有と幸せに生きること

先日、自分が勤めるサイボウズカンブリア宮殿に出ましたが、
村上龍氏が最後にこうコメントをされました。
「情報共有は手段ではなく目的。誰かと情報を共有するために私たちは生きているのかもしれない
「(情報共有が進む社会を目指す)サイボウズは人を幸福にしている。

よく「人(社会)とのつながり」が大事といわれますが、
かねてより「つながり」って具体的に何なのか、モヤモヤしておりました。

村上氏のコメントを聴いて、
「ああ、つながりって、他人と情報共有することなのかもしれないな」
と思いました。

前出の官民連携プラットフォームは、主に支援者間での情報共有なんですが、これにより、支援者一人ひとりの幸せにも繋がっているように感じます。

また、障がい者と支援者間でも情報共有が行われています。
「金銭管理が合いました」「先週は休まず通えました」「悪天候の日は体調が悪いです」「薬は半分しか飲めませんでした」などなど。

一方的な情報伝達ではなく、関係する人達が情報を伝えあう、相互理解しあう情報共有は、幸せにつながる支援の一つかもしれません。

弱者を切り捨てないことが、皆が幸せになる社会につながる。

最後に、本業の宣伝です。
8月6日に、児童虐待防止の取組にサイボウズのキントーンを使っていただいている上記3自治体の方々にご登壇いただくセミナー

topics.cybozu.co.jp

を開催します。
ご関心がある児童虐待防止の関係者の方のご参加をお待ちしております。